makiのきまぐれ読書日記

読んだ本を忘れないように。。。

三之続「泣き童子」より「魂取の池」

宮部みゆきさんの三島屋変調百物語も三冊目(三之続)「泣き童子(わらし)」より

「魂取(たまとり)の池」

 

百物語の語り手は、おちかちゃんと同い年くらいの女の子「文」

彼女はもうすぐ結婚するんだけれども、悋気もちで、そんな娘を心配する文の母親が文に聞かせた、母親の母親(文からみれば彼女の祖母)の実話。

魂取の池にカップルで訪れると、男に別の女ができてしまう。。どこにでもあるような別れるスポットあるある。のお話。

 

嫉妬心を持ちすぎるのはいけない。っていう話のスタートであるけれど

夫婦って言うのは、縁のものだよ

だから目先の事ばっかりにおろおろしないで、自分につながっている縁を大事にしなさい

これが教訓なんだろね。。。

 

おばあちゃんは、大好きな人と結婚できなくて、お金目当てみたいな感じで不細工な人と結婚したけど、気が付けば、幸せだったんだよ。そういうものなんだよ。。。的な。

 

 

年頃の二人が、炬燵に入って、きゃっきゃと話してる様子がなんかよかったわ。

おちかが、まだ自分の事について誰にも話せてないときだったら、大騒ぎ!?

同年代(っていっても、さらに年下のちびっ子たちばっかだけど)の子らと少しずつ交わっていたこの時期であるからこそ、ちょっと楽し気に、お話を聞けたと思うのです。

 

うん、これも縁だね。。。つながっていくね。。。

 

 

百物語自体は、わりと軽めだったんだけど、最初におちかが改めてこの「仕事」に向き合う姿勢が語られてる場面が印象的。

怪異を語るということは、人の世の闇を語る事だ。怪異を聞くということは、語り通してこの世の闇に触れることだ。闇の中には何が潜んでいるかわからない。そのわからなさまでをもまとめて聞き取って、胸に収めてゆく覚悟がなければ、この聞き手は務まらない。

語って語り捨て、聞いて聞き捨てる。言葉の真の意味でそれができるようになるまで、おちかは聞き手としての修行を積んでゆくつもりだった。

 のちに、おちかちゃんのあとを引き継ぐことになる人には、こんな覚悟はなさげだけどね!?(笑)

そんな、ちょっと堅物なところも、彼女の長所であり、短所である。

人間って、おもしろいね。