事始「おそろし」より第一話「曼珠沙華」
結局最初からまた読みたくなったこのシリーズ。
1冊があまりにも分厚いから、最後まで読んでるうちに
なんだか思ったこと、感じたことがあっちこっちに行っちゃって。。。
で、結局、最新刊を読むころには、すっかりすべて忘れさってる私。
だから今回は、1話づず行きます。
忘れないための覚書じゃなくって、レビューと言えるものを目標に。。。
宮部みゆきさん 三島屋変調百物語事始 おそろし より
第一話 曼珠沙華
川崎舎の旅籠の娘・おちかは、とある事情から江戸で袋物屋「三島屋」を営む叔父夫妻の元へ行儀見習いとして身を寄せている。しかし店主の身内として習い事に励むよりも、女中として忙しく働くことで自らの過去を頭の隅へと追いやろうとしていた。
ある日、叔父の伊兵衛が急な所用のため、訪問が予定されていた客への対応をおちかに任せて外出してしまう。他人に心を閉ざしているおちかは不安に駆られるが、自分を信用してくれた叔父のためにも、客に非礼があってはならないと覚悟を決める。
客は、庭に咲く曼珠沙華に恐れおののくが、おちかに対して自分の過去にまつわる怪をぽつり、ぽつりと話し始める。
罪人の家族が、自分の落ち度でないのに後ろ指をさされ、社会からはじかれる。
罪を償って帰ってきた家族を温かく迎えるどころか憎み、そして自殺に追い込んだ
語り手の藤吉の物語。
藤吉にしてみれば、兄吉蔵が自殺をしたのは、殺された被害者の恨みに負けたもの。
自殺する何日か前から、庭の曼珠沙華の花の間にに人の影を見ていたという。
藤吉は殺された大工の顔だと思い、兄を祟って現れたと喜んだ。
なのに、曼珠沙華の影から兄を攻め立てていたのは弟の藤吉自身だった。
曼珠沙華を見ると、その陰から兄を責める自分の、もしくは兄を責め自殺に追い込んだ弟を責める兄の、おそろしい顔が見えるようで恐れおののくのだった。
加害者家族のお話。東野圭吾の、「手紙」と同じような話になるのかしら。
昨年、一世を風靡したドラマ3年A組にも通じるものがあるのかしら。
ただ口先だけで、罪を犯したのは兄で藤吉じゃないから関係ない。というのは簡単だ。
でも実際自分の身の回りでそんなことが起これば、きっと白い目で見てしまうはず。
もしも自分が藤吉なら。。。
家族なんだから、サポートしてあげるのが当然。恨むなんてとんでもない。。。。
なんてことは絶対に言えない。自分の咎でないのに何故責められると憤怒するだろう。
今の時代、SNSが発達して知らなくていい事、知りたくもないことまでもが耳に入り
メディアなどの言う事を何の疑いも持たず自分に都合の良いように解釈する。
そうやって、知らずに追い詰める側になるに違いない。
また、一度ターゲットになれば、もはやそこから逃げ隠れすることもできない。
でもそれによって新たな死が発生すると、うしろめたい。
うしろめたいどころではないだろう。いろんな言い訳をして、正当化しようとする。
心構えをしていたらいいけれど、ふいにその後ろめたさの具現が目の前に現れると!
藤吉の曼珠沙華に対するおののきは、そりゃぁ並大抵のものだはなかっただろう。
江戸時代の不思議話と宮部さんはいうけれど、現代、現世と相通じ、揶揄する物語を
さらっと書いてしまうその力量は、どのシリーズでも健在で、おそろしい。
でも、藤吉さん、口に出して吐き出せたことで、心安らかになれて良かった。
そういう場があることも、生きて行くうえでとても大切。
休日明け、会社で誰も聞いてないことを、疲れるまで一人で話続ける。。。
私が仕事が嫌いでもお金を稼ぐという事とともに、それでも会社に行く意義なのだ。
重さは全然違うけど。。。何事も、抱え込むのは良くないのである。
人生、プラスマイナスゼロという。なるだけ短いスパンで平均値ゼロにしていきたい。
改めてそう願う、凡人な私。
不思議話と並行して、おちかの現在、過去が明らかになっていく。
彼女の身に起こったことは「めったにある事じゃない」と周りから慰められたのに、
同様の不幸に遭遇してしまう。
そう、生きて行くって、けっこう、つらいことが多いのよね~。(しみじみ)
自分は結構不幸だわ、って思いがちだけど、意外にそうじゃないのよね~。
これは、私自身が実感していることで、年に何度か会う友人たちの話を聞くにつれ、
意外に私って、恵まれてる!?なんて勘違いできたりしながら過ごせている。
だから、引きこもることなく、外の世界とかかわりを持つってことは良い事なのだ。
結局、Win Win の物語じゃん!?。。。。あえて明るく言ってみた。。。
強くなりたい。そして優しくなりたい。(斉藤和義さんの歌じゃないけど)
こんな感じで、まとまったかしら(^^;