三之続「泣き童子」より「節季顔」
宮部みゆきさんの三島屋変調百物語三之続(第3巻)泣き童子より
最終話「節気顔」
いつもの黒白の間で、おちかは語り手お末に問われる。「亡くなった許婚者の方に、一目でいいからまた会いたいと思うことはおありでしょうか」
そして、語られる話には、かの「商人」が登場する。以前、おちかを「人でなしの味方ばかりしてる」「ずっと冷たいお人だった」と言った人。
今回の語りの中では、死者と生者のあいだを行ったり来たりして、互いが求めるものをやったり取ったりする、「仲介屋」のように思われると言われている。。
おちかと、お末のこの「商人」に対する印象が随分と違う。前回おちかを凶宅に導いたこれぞ悪の根源的な役回りだったが、今回はむしろ、主人公の春一を死の淵から救い、周りの人、そして春一自身をも心安らかにした気がする商人。真逆でないかい!?
まぁ、賭博に明け暮れ膨大な借金をかかえた挙句、死病に取りつかれ自死を選ぼうとした春一の体を使って(顔か?)現世に思いを残す死者の魂を、一時、現世に戻す。。。という仲介。そして春一自身も、縁がすっかり切れてしまった家族の傍に戻るきっかけとなり、穏やかな(と言ってはやはり語弊があるが)死を迎えることができたのだから。。。
お末は、「商人」にそばにいてくれたらいいのにとさえ、言うのである。
うん。確かに、ある人には、死者とつないでくれるかの商人がいれば、死別というのが悲しいものではなくなるだろう。
でも、春一が詳細をお末一家に話すきっかけとなった一件では、仕返しという不幸をもたらしているわけで。。。紙一重なのである。
話はそれるのだけれども、この「紙一重」と言おうとして、まず思いついた熟語が「表裏一体」これは、ちょっとニュアンスが違うぞ。。。と思わずググってみた私。「紙一重」はわずかな違い。「表裏一体」は密接につながっていること。前者は、否定。後者は肯定ってこと!?日本語って、難しくておもしろい!!
話が分からなくなってきた(^^;
混乱のおちかに、守り人お勝の「できますとも」の言葉が力強い。自分を肯定してもらえるって事は、幸せへの第1歩ということで。。。三之続もやっと終了♪