makiのきまぐれ読書日記

読んだ本を忘れないように。。。

四之続「三鬼」より第三話「三鬼」

宮部みゆきさんの三島屋変調百物語四之続「三鬼」より表題作の「三鬼」

 

この物語は、二つの悲劇が語られる。。。

一つは、武家社会で犯罪にあっても、その加害者が自分よりも身分が上、家格が高ければ、それを罪に問おうとすると、家の存続が危うくなる。

そしてもう一つは、労働力にならず、人手と食料をくらうばかりの「無駄」をはぶくための「間引き」、すなわち、負担になるばかりの命を、取り除く。。。

 

今回の語り手、清左衛門は、まず妹を拉致され、犯され・・・その犯人たちを突き止めた。だけど、それに泣き寝入りをしなかった。復讐にうってでたのだ。

でもその咎で、本来は切腹・・・となるところを、洞ケ村という山村の山番士として勤めることになった。3年勤めれば、家の再興を許すと。。。だた、その山村の務めは尋常なものでなく、鬼がでるといわれている。。。

その鬼=間引き・・役に立たない村人を取り除く(殺す)は本来、人間であった。山深い辺鄙な村なのに、上村と下村があり、長でないものは行き来してはならぬ。なぜなら、上村で間引きが必要になれば、下村から鬼を出し下村で間引きが必要になれば、上村から鬼を出す。

だが、いつのころからか、真っ黒な籠をかぶり、蓑で身をまとい、雪靴をはいたおそろしい本当の鬼が、その役目を果たすようになった。。。

清左衛門は、同僚の須賀とともにその姿を追うが、その正体は、空洞であった。。清左衛門はそこに自分の姿を見るのである。。。妹の為に人を斬ったように、あれも洞ヶ森村の人々を殺してきた、同朋だと。

同僚須加の働きかけあって、洞ケ村は解散、清左衛門と須賀は再び市政に戻り幸せに暮らした。。。

お話の最後は、ほんとに、めでたしめでたしだったのに・・・

 

 

身分の上下だとか、食べていけない、暮らしていけないまでの貧困っていうのは、もうすでにない世の中となった。。。

でも、人間の醜さは相変わらずで・・・

理不尽とか、業とか、すべての悲しみが凝った「鬼」は現在でも跋扈していると思うのよ。夕方のニュースでは(今はコロナのことばっかで、それはそれで問題だけど)「人を殺してみたかった。相手は誰でもよかった。。。」だとか、教育の一環だと言い親が子供を、上司が部下を、暴力で支配する事件が、連日場所を変えて毎日のように起こっている。

生きていくために、自分が優位に立つことは、そりゃぁ必要なことだけど。。。昔、「正しい事をやりたければ、上に行け」といった人がいたっけ。。でも上に行ったら忘れちゃうのよね、「正しい」っていう概念を。。。

 

そんなに私は大きい事を望んでいるわけではない。毎日おいしいご飯を食べることができて、ライブに行ったり、劇場に行ったり、まぁ、そのためにはお金を稼ぐことが必要で、理不尽に耐えながら会社に行く。。。はやく、そんな日常が戻ってくることを、この表題作「三鬼」を読んで、改めて思うのである。。。

 

ラスト、転がった籠。清左衛門と須加は、鬼をちゃんと退治できたんだよね(^^)v